【走行音】 京阪電鉄 本線 1700系 (ツリカケ車) 1982年
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- Опубликовано: 9 фев 2025
- 【 録音日時 】 1982(S57)年5月21日
【 録音機材 】 SONY TC-D5 / ECM990F
【 録音場所 】 京阪電鉄 京阪本線 淀屋橋 → 萱島 1430列車
【 録音車両 】 1704 主電動機 TDK-554AM 110KW×4
【 制御方式 】 電動カム軸式自動加速 直並列抵抗制御・弱め界磁制御 ES554A
昭和26年から特急用として製造された車両です。半鋼製ながら、狭い2段窓を並べた京阪特急スタイルを築き上げました。登場時は2扉転換クロスシートでしたが、昭和40年から中央に両開き扉が設けられ3扉車となりました。
録音は1700系と600系M車で7連を組み、Mc車が京都側先頭に出て淀屋橋~萱島間の普通運用に入っていたものです。 サウンドは淀屋橋駅構内から始まりますが、当時のデイタイムは15分ヘッドで特急、急行、普通、枚方市準急、萱島普通の4本が運転されていました。萱島普通には600系、700系、1700系などツリカケ車が割り当てられることが多かったのです。
天満橋を出ると33パーミル勾配で京橋へ向かって駆け上ります。京橋駅進入前に外側のB線へ渡ります。京橋を出て25Km/h制限でポイントを通過、野江までは比較的距離が長く、下り勾配を加速して一旦ノッチオフ、直線になったところでまたノッチ投入し、90Km/h程度まで加速します。1700系のブレーキ扱いは難しいようで、滝井駅でオーバーランして少し逆行しています。守口市で後発の急行と連絡していますが、ダイヤ上は普通が先着して急行を待つのですが、ツリカケ車では遅れ気味になって急行を待たせてしまうことが多かったようです。
写真は 1801-1802-1882-1701-1751-1704-1754 の7連で1800系との混合編成時代です。
Web page での掲載はこちら : www.kokyu-gr.jp...
大変懐かしい音、ありがとうございます。
特に、千林駅停車時にわずかに聞えるCM放送が大変懐かしいです。
主に千林商店街のお店の宣伝広告が、ホーム端に設置されたスピーカーから流されていたと記憶しています。
拝聴していると、今は亡き父親に手をつながれて電車からホームに降り立つ幼い頃の自分の姿が目に浮びます。
ご聴取ありがとうございます。千林商店街の広告放送が行われていたのですね。
@@kokyu87m
もう一度、ハッキリした音声でCM放送を聴きたいです。だれかテープ持っていないかな?
両端の二つは片開きで真ん中は両開き、変わった扉配置ですね。
高速時の、ぐわああああん、とモーター音が響くような音が良いです。
ご聴取ありがとうございます。
子供の時、ひらかたパークのプールのそばを、1700系がモーター爆音を流しながら走り去っていく姿を見ました。それを思い出します。
ご聴取ありがとうございました。
1700と1800の併結列車に乗った記憶があります。
丁度この区間です。
1800のカルダン駆動、1700の吊り掛け駆動…
両方が楽しめました。
エンジのシートに広い幅の貫通路、1700の木目と1800のピンク塗り潰しの内装…
特急車時代からの名コンビですね。
ご聴取ありがとうございます。1800の音も録音すれば良かったのですが、ツリカケ車を録るだけになってしまいました。
1500ボルト昇圧前、特に昭和50年代初頭の京阪線普通電車は冷房車が極めて少なかったような感がありました。吊りかけ車に乗れる確率も高かったような。
ご聴取ありがとうございました。
僕はまだ京阪電鉄さんが架線電圧600Vの頃からお世話になっていました。ツリカケ車が好きでよく600系、1300系、1700系に乗車しました。しかし今思うと1800系、2000系にもっと乗車しておけば良かったと後悔しています。1800系は2代目1800系に電気機器を譲りましたが、2000系は2600系改造時モーターを交換しましたので、心残りでした。
京都旅行の節は、お世話になりました。
ご聴取ありがとうございました。
懐かしい!京阪沿線の門真市に住んでいたので、出かける時は京阪電車を必ず利用してました。京阪電車と言えばこのカラーリングですね。
誰か2000系の走行音をUPしてもらえないでしょうか?
ご聴取ありがとうございます。
京阪電車は緑濃淡で定着しています。
2000系の音は自分も撮ってないのです。ツリカケ車を追いかけていたのですが、初期のカルダン車を録音し忘れています。
返信ありがとうございます。
あの独特の発信&走行音が大好きでした。
こんな事を言ってはなんですが、今の塗装は好かんです。
やはり、京阪電車は緑濃淡ですね。
赤いエンジのロングシート、広い幅の貫通路、唸る吊り掛けモーター…
かつて特急として京阪間を疾走していたのが目に浮かびました😉✌️
ご聴取ありがとうございます。残念ながら1700の特急は記憶に残っていません。通学時に乗っていた急行がいつも3扉1700系でした。
赤いエンジのロングシート>
一時的に石山坂本線用600または700形で復活したことが実際にありました。
しかしながらこれらも本線13000系と同じ柄に交換されてしまいました。
当時の京都側のデイタイムも同じく15分ヘッドで特急、急行が一本づつ普通が淀屋橋行きと宇治行き直通の計2本だった記憶があります
ご聴取ありがとうございます。
小学生の時「ボロ電車」って言ってましたね。今となればレトロな木造の内装にキチンと両開きの扉のついた貫通路、カタカタカタ…と刻むようなD-3コンプレッサーの音や600系に比べて重低音なノーズサスペンションの音が同業他社に比べて上品な響きを持っていました。時代が昇圧を重きに置くあまりサッサと廃車されましたが、技術があればぜひ残してほしかったなって勝手に思ったりしてましたが。
ご聴取ありがとうございます。1700-1750の間は広幅貫通路で両開きでしたね。
はじめまして。 自分も京阪沿線に住んでいたので学生時代に帰りにわざと急行等に乗らずに この吊り掛け車両に乗って帰りました。 この1700系は車内が木が使われていました。 よくこの車両の走行音をもっておられるとは。
ご聴取ありがとうございます。
1700系のツリカケと1800系のカルダンを連結した7連の編成でした。1800系も録音しておけば良かったです。
上り複々線A線を走行時の音色はカスレていて軽やかですらありました。1700系のオープンな車掌室、丁寧な造りの木の内装、貫通部の両引きの扉、正面のバランスの取れたデザイン、砲弾型でないヘッドライト、など惹かれるものが数多くありました。
ご聴取ありがとうございます。
吊り掛け音たまらんなぁ
ご聴取ありがとうございます。ご堪能いただければ幸いです。
釣り掛け最高です。昔ながらの車掌の声復活してほしい
ご聴取ありがとうございます。
音と現在の線路状況を照らし合わせてみた結果、結構加速が良いような感じしますね。
ご聴取ありがとうございます。
この動画配信は京阪1700系は普通列車の他に準急列車や区間急行列車にも使われました、
ご聴取ありがとうございます。
京阪の中でも、この1700系は特に好きでしたね。優美なデザインといい、木製の車内といい、独特なツリカケ音といい、古きよき京阪電車ならではの味わいがありました。途中、子どもの声が聞こえるように、京阪電車の利用者は他の路線と違い、特に子どもの利用者が多かった記憶があります。
ご聴取ありがとうございます。学生の頃に通学時間帯の急行が1700系を使っていました。
やっぱり京阪はこの色がええわ。
ご聴取ありがとうございます。 緑濃淡の方が良かったですね。
京阪も南海も緑ツートンがええです
@@kokyu87m
主に京津線準急または急行用として使用されていた260・300形は初代3000系特急車と同じ塗り分けとして、まったくの平坦路線である石山坂本線専用で緑濃淡かつ電気ブレーキを持たない350形との区別を容易(そのために逢坂山の急勾配区間で必要とされる電気ブレーキの有無が容易に認識できていた)にしていましたが、これらも1980~1982年にかけて350形と同じ緑濃淡塗装とされたため、一見しただけでは却って先程の電気ブレーキの有無としての見分けが付かなくなってしまいました。
この時の京阪は架線電圧が600vでしたが翌1983年12月に1,500vに昇圧となりました。by酒向正也
ご聴取ありがとうございます。
昔乗ったことあるな…。萱島駅の案内放送だが準急はここから各停になるので種別を省略してる。今は各停区間もちゃんと「準急」と言うが。
ご聴取ありがとうございます。
萱島駅はあまり利用してないので詳しく知りませんが、寝屋川市駅では京都方面行き準急の案内表示(クルクル回る幕式のやつです)はありませんでした。各駅停車と同様、行き先表示だけが出たと記憶しています。放送は覚えてないです。
1700型のモーター音は東洋製独特の苦みばしったいい音。
600型が軽快なら、1700型は豪快!
若い頃、私は神戸在住。この電車目当てに早起きして京橋まで何度も通いました。
ご聴取ありがとうございました。
この頃は扉が閉まってからの車掌から運転士に送るベル合図は無かったんですね
ご聴取ありがとうございます。2点ベル合図はありましたが、運転士から車掌への合図に使っていますね。閉扉側灯滅出発可の合図はベルをならしてないようです。知らせ灯で確認していたのでしょう。
この時、もうご承知のように特急はご存じ1971年から活躍しているナショナル松下電器(現在のPanasonic)製の20インチカラーテレビ(京都方先頭車の運転席側に設置)と全座席自動一斉転換(淀屋橋と三条で実施)装置を備えた最新技術の草分け的存在だった初代3000系テレビカーが活躍していましたね。by酒向正也
この動画配信は廃車前の京阪1700系です、
ご聴取ありがとうございます。架線電圧の昇圧で廃車になりました。
これを、特急で、ぶち抜くんが、好きやった🥰
ご聴取ありがとうございます。1700も元特急車ですけどね。
当時、萱島発7:35の準急にこれ使っててよく故障してたの思い出すw(老朽化したこいつで萱島~京橋間ノンストップはちとキツかった気はするw)
ご聴取ありがとうございます。 登場時は特急用車両だったので、それなりの性能でしたが、高加減速が要求されるダイヤではキツかったでしょうね。
吊り掛けは地下で大きく響きますね。by酒向正也
騒いでるガキも、既に50歳になろうとしてると思うと、時が経つのは早い。
当時の1700系は、もう一線を退き朝の普通や区間急行のローカル運用でしたね。
同じ吊り掛けの600系は幅広く活躍してたのは、車体が大きかったからかな。1700系は17メートル車でしたからね。
この時、京阪電車の架線電圧は600v給電でしたね(1983年12月に1500vに昇圧した)。
600V時代のツリカケ車です。昇圧で廃車になりました。
@@kokyu87m
京阪本線系統の営業用吊り掛け車両は1983年12月の昇圧をもって廃車となりましたが、一方で大津線系統はさらに14年も生き延びまして、京都市営地下鉄東西線開業を反映した1997年10月の昇圧まで生き残りました。
特に現在も8000系で使用され続けている片開き扉が特徴だった260形1次車(261~267)は1957年の竣工以来最終的に40年も吊り掛け駆動のまま生き延びました。
ドウワー1700
ご聴取ありがとうございました。
京阪線がもっと早く1500㌾になっていたら吊りかけ車も平成の時代まで生き残っていたカモ知れません。
もっと早くに廃車の可能性が高いですね。お隣を走る阪急京都線だって5300系大量製造で旧型車を古い順に廃車にしていってたそうですからね。最終的には、2800を普通運用に持って来てP-6を含め吊り掛け駆動車を置き換えたわけですけど。あの時代、吊り掛け→カルダンをどこの会社もやりたかった訳だが、増える人口のお陰か更新しか出来ず、カルダン駆動車で吊り掛け駆動車全置き換えはできなかった訳で、更新で終わりましたからね。どこの会社も本音はカルダン駆動で統一したかったと思いますよ。あんな夢のような方式は、どこにもないですからね。
カセット・デンスケすげえ、w ノイズリダクション無しですよね、リミッターかけてたんでしょうか?
ご聴取ありがとうございます。
TC-D5にはDOLBYとリミッタスイッチがあります。録音時にONにしていたかは定かではないですが、おそらくONのまま使っていたと思います。入力はマニュアルなのでメーターの針のフレを見ながら調整します。
トンネルを走るつりかけ音は怖い
tatsuya Bancho様
ご聴取ありがとうございます。
地下線内の壁に響き渡るつりかけ音をお楽しみいただければ幸いです。
今でも車内を駆けずり回ってるガキ腹立ちますね
THE野放しスタイル